麦に宿り豊作を司る賢狼の少女・ホロと青年行商人ロレンスの道中で起こる様々な事件を、軽妙洒脱な掛け合いも散りばめつつ描く「剣も魔法もない」ファンタジー物語。中世ヨーロッパ的な世界での経済活動に争いの舞台を置く異色作。第12回電撃小説大賞の銀賞受賞作品。本作はシリーズ13作目にあたる珠玉の短編集。
『「うまいものを食いたければ倍の金を。もっと満足したければ倍の量を。さらに喜びを倍にするにはどうすればいいか?」
ホロが豚の丸焼きを見てロレンスに向けた謎かけ。ロレンスは、笑って言葉を続けていた。
「共に食べる相手を増やせばいい。お前がうまそうにパンを食べる姿を見ていたらな、十分腹一杯だ」 』
何を食べるかも大事だけれど、誰と食べるかはもっと大切。気の合う友人や家族、大切な人と共にテーブルを囲む。とてもシンプルでささやかなことだけれど、優しくなれる瞬間だ。実は、こういうシンプルなことほど行い難く、シンプルなことほど普遍の絆を与えてくれる。
人は、自分にとってどうでもいい人とは同じテーブルを囲まない。同じテーブルで同じものを食べる仲ならあらゆるものを共有できる。あらゆる艱難辛苦を咀嚼できる。
そう、”涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味はわからない(ゲーテ:ドイツの文豪)”のだ。
遠いところへ、遠いところへ心を澄まして耳を澄まして、静かに、叙情をたたえてしなやかに―。清新な文体で、時空間を漂うように語りかける不思議な味。ニュー・ノヴェルの誕生。中央公論新人賞・芥川賞受賞作。
『この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない 。世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。(中略)大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
・・・たとえば、星を見るとかして。』
人は、何かあると空にヒントを求めるらしい。例えばそれは、歌や詩の中にも散見される。
始めようか天体観測 ほうき星を探して 深い闇に飲まれないように 精一杯だった(天体観測 - BUMP OF CHICKENより)
星と個、この二者を結ぶ最短距離は直線だ。だとしても、星と個のあいだに境界直線を引く必要はどこにもない。人はどこにいても、自分にとっての北極星を見つけられる。個が能動的な姿勢を見せるなら、いつでも、それを見つけられる。自分にとっての北極星を見つけられたならもう迷うことはない、きっと。
アメリカの聖職者・教育者であったヘンリー・ファン・ダイク(1852〜1933)の言にもある、
あなたの生活を喜びなさい。なぜなら、それは、人を愛し、働き、遊び、星を眺める機会を与えてくれる、と。
桜舞う四月。高校二年。新しいクラス。目つきは悪いが普通の子、高須竜児は、ちっちゃいのに凶暴獰猛、“手乗りタイガー”と恐れられる逢坂大河と出会う。そして彼女の知ってはいけない秘密を知ってしまい―。超弩級ラブコメ登場。
『私はね、いつか心から愛せる人ができて、付き合ったりして、結婚して、幸せになるんだって信じてる。でも、実際に、誰かとそんな感じにうまくいったことってないんだよね。
世の中には当たり前に、中学生や高校生ぐらいの年からずっと誰かに恋をして、付き合ったりふられたり別れたりをしている人たちがいて、当たり前に恋愛をしてる。そこに愛がある、っていう。・・・私には、そういう人たちの存在が、すごく遠いんだ。
よくいるじゃない、いわゆる「霊感が強い」「見えちゃう」っていう人。あっ肩が重い、そこらへんにうじゃうじゃいるよ、ほらそこにも、なんて言ってみせるタイプ。それと同じに思えるの。本当に幽霊見えてるの?って疑いたくなるとまったく同じに、本当に恋をしているの?・・・そう思うのよ。』(4巻P.145より)
空想的な愛とは、すぐに満たされる手軽な成功を求めてみんなに見てもらいたいと願うようなもの。周りからの憧れの眼差しは手に入っても、本音じゃない”自分”の姿に”自分”は憧れることはできないはず。
それに対して、実践的な愛というのは、感謝であり信頼である。人は、偶然出会ったものを束の間愛するのではなく、永続的に愛さなければならない。時に途切れそうなこともあるかもしれないけれど、どんな人の恋路にも、いつだって春夏秋冬はある。大切なのは愛されること、ありのままを愛される自分になること、それだけだ。
人には、ある年代においてしか吸収できない大切なことがある。このノベルには、それにたいする答えではないけれど、限りなくそれに近いものが提示されている、そんな気がする。